HIROMI そらをとぶ 

保育士 英語リトミック講師

空を飛んでいる

子どもの頃
空を見ては
なぜか漠然と
「雲の上に住んでいた」と
懐かしんでいた

大人になって
忙しくなり
早くに結婚したのもあり
空を見上げることが
なくなっていた

子どもの頃の通知表に
《我慢強い》と
書かれている

結婚生活の中で
周りにびっくりされるような
数々の問題に直面してきたが
いつも冷静に過ごしてきた

今の環境の中で
最善を尽くすことだけを考え
幸せになる努力を続けた

幸せに向かっていっている
はずだった

けれど
かごの中に閉じ込められた
鳥のような生活に
じわじわと息が詰まり
心の声が出なくなっていった

そしていつか心は
「無」になり
「幸せな自分」を
造り上げていた

ある時
ある人に
「幸せ?」と
聞かれた

思考が停止し
その言葉が脳を巡り
心の奥の奥の奥へと
入り込んできた

そして涙が出た

幸せなふりをしていただけで
ほんとうは
違うんだと
気が付いてしまった

それから
少しずつ
少しずつ
自分の心の声を
取り戻していき

息をし
物事を見
感じ
空を見て
外へ羽ばたく希望を
思い出し
力を蓄え始めた


空を自由に
飛んでいる

かごから出て
穏やかに
緩やかに
軽やかに
空の広さを
味わっている

この先は
無限大
どこまで
飛んでいこうか

遠くにいる
あの人達に
会いに行こうかな

幸せ?
うん

終りは始まり

すべてを終えました

新しい戸籍を作った

下の息子も
県外で元気に働きはじめ

私は45才で
自分の人生を新たにはじめる

心置きなく
好きなだけ仕事をし
好きなだけ遊ぶ


気持ちの良い空気を感じ


仕事に没頭し


穏やかな夜を過ごす

さぁ新しい人生!
大きな節目

行きたいところへ行こう
会いたい人に会いに行こう

わくわくが
止まらない!

幸せを手に入れる方法

新しく住みはじめた部屋から
広い空が見える

朝起きると
ベッドの中から
空を見る

背伸びをして
大きく息を吸って
起き上がる


月曜日


火曜日


水曜日


木曜日


金曜日

毎朝
広いお空をみて
穏やかな空気を感じ
ゆるやかな幸せを感じる


家族のために
あくせく働いても
誰からも
労わられることなく
逆に
責められたり
理不尽なことを
押し付けられたりした

そんな日々の中でも
出来る限りを尽くそうと
そして自分自身も
幸せであろうと
なんとか努力していた

けれど今
すべての重荷から解放され
自分のためだけに時間を使い
ただ目覚めて外を見るだけで
この上ない幸せを感じる

努力してもしても
報われず
手に入れることが
できなかった幸せを
すべてを放棄した今
手にしている

努力しないことが
幸せを手にする方法だったとは
なんだか不思議だけれど


このゆるやかな
穏やかな時間を
からだ全体で
感じている


ああ
空がきれいだなぁ

空を飛ぶ時

すべての重荷を
下ろす時が来た

夫から
「出ていって」
と言われ

心底ホッとした
ついに解放されるんだ
と思った

長い長い年月を
振り返ると
よくやってきたなぁと
よく耐え抜いてきたなぁと
自分に感心する

家のことも
子どものことも
仕事のことも
20年間
ベストを尽くしてきた

脱いだ服
食べ終わった食器
飲んだビール
使ったティッシュ
食べこぼし
剥いた足の皮
切った爪

朝起きるとまず
夫の残している汚れ物を
片付けて
お弁当を作る
洗濯をする
子どもを起こして
仕事へ行く準備をする

片付けても
片付けても
夫と子ども2人に
3倍速ぐらいで
汚される日々

子どもの情操教育にも
学習教育にも
興味を示さなかった夫は
子どもとの時間や
家族との時間に
価値をおいていなかった

子どもの興味を広げようと
1人であらゆることをした
色々なところへ連れていき
色々な経験をさせた
海へも川へも山へも県外へも
農業も科学も
グローバル体験も
朝は新聞を読んで聞かせ
夜は絵本を読んで聞かせ
日中は英語ラジオを流した

子どもがやりたいこと
興味を持ったことを
一緒に楽しんだ

夫がいないくても
1人でテントを建て
キャンプをさせた
1人で雪山へと運転し
スノーボードをさせた
1人で山へ連れていき
農業をさせた
1人で川へ連れていき
釣りをさせた

家計は十分ではなかったが
子ども達に様々な経験をさせたい
もし海外へ興味を持てたなら
行かせてやりたいという
色んな思いがあって
仕事も出きる限りして
子どもへ費やした

ほとんど家にいない夫を
頼ることは一切できず
熱が出て電話すると
「オレのごはんはいいよ」
と言う夫に
体調が悪いことを伝えることすら
むなしくて
伝えるのもやめた

熱があっても
腹痛があっても
めまいがしても
子どもの食事を用意した
体調を気遣われることも
なかった

年子を生んで5年以上
夜中にまともに睡眠を取ることが
出来なかった
トータルで3年間の授乳
年長ごろまで続いた長男の夜泣き
夢遊病のように起きては倒れる次男
度々のおねしょ
2,3時間で起こされる日々
小学生になり少し落ち着き
まとめて寝られるようになり
朝まで起こされなかったことに
感動したりした

子ども達がスポ小に入ると
土日は練習試合や遠征があり
4時起き22時帰りも毎月
副部長としての仕事は
本職の保育士よりもキツかった

中高生になった息子達は
思春期の子どもらしく
不安定で不機嫌で
暴言を吐き
私の心を苦しめていった

生活の乱れに心配が尽きず
学校でのトラブルに何度も謝罪し
先生からの電話に頭痛がした

本人達の能力を無駄にしたくない
という思いがあり
多々ある誘惑に流されていく子ども達を
励ましながら
将来へ少し目を向ける種をまき
机へ向かうよう促したが
「子どもが自分から勉強したら気持ち悪い」
「勉強ばかりしてきたやつはろくな奴がおらん」
と言う夫に落胆した

警察に補導されても
学校で退学を勧められても
校長室に呼ばれても
仕事だから無理
と一切を私に任せる夫から
「子どもを犠牲にして
仕事や好きなことをしている」
と責められた

家のこと
子どものこと
夫の会社のことを
考慮して
キャリアをすべて
犠牲にし
でき得る範囲で
仕事の形を工夫してきた
それでも夫から
仕事の選び方を責められた

2年半前に家を建て
やっとついに
自分の物を自分で片付け始めた夫
ゴミ箱にごみすら入れず
後始末を押し付けてきた夫は
初めて家に気を配りだすと一転し
もっと家を綺麗に扱って欲しいと言う

私の貯金を夫の両親や
夫の事業に使い果たした
子どもの為に働いて費やし
先を考えて
自分の技術向上に投資し
わずかながら貯金もコツコツしていたが
生活費の使い方を責められ

私が
夫と子どもの為に重ねてきた
努力も犠牲も
何もかも
まったく理解されていない
と落胆を通り越して
悲しくて空しくなった

夫に対して
ほんの少しだけ残っていた気持ちを
切れないようにと
なんとか自分に言い聞かせていたが
完全に消え失せ
すべて失望へと変わった

そんな20年間の生活だったけれど
どこかでまだ
複雑な家庭で育った夫を
見捨ててはいけない
悲しませてはいけない
という思いがあり
とどまっていた

そんな中で
息子の将来に大きく影響する出来事があった
この時ばかりは
夫にも真剣に向き合って欲しかった
深刻な状況をなかなか理解してくれず
そればかりか
子育てを全くしない夫から
子どもへの声のかけ方を責められた

お金の使い方が荒い夫に
お金の使い方を責められ
仕事を理由に
家庭に無関心な夫に
仕事の仕方を責められ

今まで傷つけたくないと思い
言わないでおいたことを
正直に言った
父親としての無責任さ
子どもへの金銭的悪影響
夫と夫の両親の金銭感覚のおかしさ
仕事に対する時代錯誤な考え

どんなに努力しても
真摯に向き合っても
人は間違うこともあるし
正解はひとつとも限らない
私のしてきたことが
すべて正しいとは思わない

けれど
家族であれば
共に考えて
向き合うはずのことを
真剣に取り合わず
逃げただけの夫に
責められる筋合いは
まったくない

自分のことを突き付けられた夫は
「もういい出ていってくれ」
と言い放った

これ以上
夫の為に
苦しまなくて済むんだ
という安心感で
肩の荷がふっと降りたのを感じた

長い長い
先の見えないトンネルから
パッと光がさした

しばらくすると
何も報われなかった
というむなしさが込み上げて

なんだかとにかく
とにかく
疲れ果てた

20年間分の
溜め込んだ疲れが
どっと体を襲い
じわじわと
脳を支配する

けれどもう
振り返る必要はない

すべて精一杯やりきったから
何も後悔することはない

さあ
人生を再スタートする
準備をしよう

物件探しをはじめた
あまり広い部屋ではないけれど
内見に入った時に
風がす~っと抜けて
見晴らしのいい部屋があった

あそこに入れるといいなぁ。。。

未来が穏やかな空気に包まれますように